横浜市鶴見区と聞くと京浜工業地帯の中心にある地域として有名です。
工場からの煙と労働者のまちのイメージで知られています。
そこで今回は、横浜市鶴見区にある京浜工業地帯の歴史と生みの親について、それから市民のためのまちづくりがすすめられているウォーターフロントの現在をご紹介します。
ぜひ、横浜市鶴見区にお住まいをお探しの方や賃貸物件をお探しの方は、記事を参考にしてみてください。
京浜工業地帯の生みの親である浅野総一郎氏の生い立ち
横浜市鶴見区にある鶴見の工業地帯のなかで、大規模な埋立地をはじめて造成したのが浅野総一郎氏とされています。
1848年、富山県に生まれた浅野総一郎氏は、6歳で父親を亡くし養子に出され苦労しながら成長していきます。
その浅野総一郎氏は昭和6年、薪炭や石炭を販売しており神奈川県庁や現在の王子製紙といった、大手取引先を得て大事業家として成功しています。
事業家として有名になった浅野総一郎氏は休業同様のセメント工場を引継ぎ、浅野セメントで浅野財閥を築き上げさまざまな産業に参入していきました。
また平成2年には、農作物や商店街の繫栄のため大黒ふ頭の埋立地に成功しました。
そのあと、およそ70数年間に渡り造成された埋立地は、区の面積の約3分の1程度を占めています。
明治29年には、欧米の港湾都市の視察で海に面したエリアに多くの大きな工場があり、岸壁には船が停留し、製品や原料の積み下ろしがスピーディーにおこなわれている光景を目のあたりにしました。
これをきっかけに臨海工業地帯を作ることを決め、大正2年に着工、昭和のはじめに埋立地が完成しました。
京浜工業地帯にあるウォーターフロントとは?
横浜市鶴見区にある京浜工業地帯のなかにはウォーターフロント(臨海部)が設けられています。
工業や農作物による経済効果だけでなく横浜市鶴見区民のための施設が設けられています。
また、近年では企業の施設を市民に対して開放する施設も多くあります。
京浜工業地帯のウォーターフロントはおもに3つの地区に分かれています。
●末広地区
●生麦地区
●大黒地区
末広地区ではベルト状に樹木が設けられ工業地帯ではない景観が広がっています。
また、建物の形は船がモチーフにされています。
この地区では、楽しく学べる東京ガスの環境エネルギー館や温水プール、大浴場があることで数多くの方に知られています。
生麦地区にはキリン横浜ビアビレッジがあり、ビール歴史を紹介する展示室をはじめビール工場を見学できます。
大黒地区にはさとうの歴史を知ることができる、「横浜・さとうのふるさと」や電気の展示館の「トゥイニー・ヨコハマ」があり、市民でも利用できるかたちで解放されています。
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